築城年代は定かではない。鵜ヶ崎城は古くは武隈館とも呼ばれ古い時代が存在していたとも考えれるが、史料に現れるようなるのは永禄年間(1558年~1570年)頃で伊達氏の家臣泉田氏の城としてである。
その後は石田宗朝、遠藤兵部、屋代景頼など目まぐるしく城主が変わり、江戸時代になると仙台藩の要害制に伴って岩沼要害として維持されることとなった。慶長7年(1602年)に奥山兼清が城主になって以降、伊達宗勝、古内重広、田村宗良と変わり、天和2年(1682年)以降は古内氏が代々城主を務め明治に至る。
古内氏の家格は着座で七千石余りを領していた。
江戸時代に岩沼要害と呼ばれた岩沼城は現在の岩沼駅の辺りが本丸であったが、明治以降丘陵はほとんど削り取られてしまい、遺構ははっきりしない。
中世の鵜ヶ崎城については定かではないが『奥州岩沼城図』に「古舘」と記された場所があり、それが現在の鵜ヶ崎公園一帯となっている。
鵜ヶ崎公園一帯は現在でも周囲より小高くなっており、最高所に土塁のようなものも確認できる。以前には案内板が設置されていたようであるが、それは見当たらず、標柱のみであった。
鵜ヶ崎公園東側に駐車可能。
最寄り駅(直線距離)