築城年代は定かではないが建武年間(1334年〜1338年)頃に泉田教隆によって築かれたと云われる。 泉田氏は請戸城の標葉の庶流で教隆が泉田村を領して泉田氏を名乗った。
明応元年(1492年)相馬高胤・盛胤が標葉氏の居城権現堂城を攻めた時、泉田隆直は相馬氏に降り、権現堂城は落城して標葉氏は滅亡した。その後、隆直は「胤」の字を賜り胤直と名乗り相馬氏一門に列した。
泉田城は請戸川北岸の比高10m程の独立丘陵に築かれている。
山上は目立った段もなく平坦であるが、中央やや東よりに南北に溝が走り、西に屈折して北側の中央虎口に向かって続いており、これによって東西二郭になっていたようである。北側の山裾部分に空堀と土塁の跡がわずかに残っている。