元弘元年(1331年)標葉平四郎隆連によって築かれたと云われる。 隆連は請戸城を居城とした標葉氏嫡流、標葉持隆の三男という。
隆連の後、隆重・隆豊と続いたが、明応元年(1492年)権現堂城の標葉清隆・隆成父子が相馬氏によって攻め滅ぼされ標葉氏は滅亡、新山城も相馬氏の支配を受け城代が置かれたという。
新山城は双葉駅の南にある東へ伸びた丘陵に築かれており、常磐線によって東西に分断されている。
常磐線の東側にある新山神社や公園になっている部分が本城と呼ばれている部分で、北側の麓には城代の居館跡という方形土塁を巡らせた平地が残るという。常磐線の西側、双葉中学校の東側の丘陵は東館と呼ばれ、西側に屈折した土塁線が南北に続く曲輪が残り、西下には空堀が巡らされている。
本城は双葉駅から常磐線に沿って南に進むと左側に公園の入口があり、ここに案内板が設置されている。東館は双葉中学校側の道路脇に入口がある。
最寄り駅(直線距離)