築城年代は定かではないが保元年間(1156年〜1159年)に標葉四郎隆義によって築かれたと云われる。 標葉氏(しねは)は平国香の二男繁盛の後裔で、海東小太郎成衡の四男隆義が保元年間に標葉一郡を分与され請戸の御館を築いて居城としたことに始まる。
南北朝時代には標葉氏は南朝方に属し北朝方の相馬氏に請戸城を攻められている。
嘉吉年間(1441年〜1444年)の標葉清隆の時に権現堂本城館を築いて居城を移したが、平城で防備に難があり、文安年間(1444年〜1449年)に権現堂城を築いてさらに居城を移したという。
請戸城はちょうど請戸川と高瀬川が合流する地点の南側にある、東へ低く伸びた丘陵の先端に築かれている。
比高10m程の低丘陵にあり、早くより開墾されていたようで、広大な平地になっており、津波避難場所になっている。