築城年代は定かではないが平安時代末期に設楽氏によって築かれたと云われる。
設楽氏は三河国設楽郡の発祥であるが、その初期については定かではなく、正和元年(1312年)設楽郷より岩瀬郷へ移ったという。 その後、永正年間頃には別所城の伊藤貞久の所領となっていた。
城は南北にのびる丘陵の北端に主郭があり、大千瀬川が大きく北側を蛇行している。
主郭は北端で一部に土塁が残っている。南側は堀切でそこから南へ細尾根が続き、途中堀切らしき僅かな凹みがある。南端も削平されており、一部突き出た高まりが確認できる。