築城年代は定かではない。「庄田家文書」では永禄8年(1565年)鶴ヶ山大磯之丞によって築かれたとされる。
「庄田家文書」では城主を鶴ヶ山大磯之丞、家老を山田半之丞、熊千代を城主の若殿と伝える。一方「山田家由緒書」では城主を鶴山大弾正、家老は山田半之丞、同熊千代と伝え、多少異なる。
鶴ヶ城は遠江と三河の国境近くにあり、相川が迂回するように流れる標高320mの山頂に築かれている。案内板はないが、道標はしっかりしており、遺構の表記がなされ、わかりやすくなっている。
鶴ヶ城は小さな城で、山頂の主郭と北西、南性の尾根に曲輪を設けてあり、50m四方 程に収まる規模である。しかし、残された遺構は面白く、主郭は切岸は低いが周囲を横堀が巡り、南西側に虎口を開く。虎口は堀に土橋が架かり、出た先は小さな馬出曲輪になっている。
北西尾根の北曲輪と記された曲輪は「姫の屋敷」と呼ばれる曲輪で、土塁と堀切で遮断している。
国道151号線を北上していくと東栄駅を過ぎて県道9号線へは曲がり静岡県に入る。県道はすぐ二手に分かれるが、南側へ曲がり線路の高架下を潜って南へ進む。すると分かれ道の所に道標が出ている。車は少し戻った所にある旧道に駐めることができる。
最寄り駅(直線距離)