三河 別所城みかわ べっしょじょう
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築城年代は定かではないが天文年間(1532年〜1555年)に伊藤貞久によって築かれたと云われる。
貞久は工藤祐経の子伊東祐時の末裔で伊東祐貞の四男であり、伊藤祐雪の養子となって日向国から下田へ移り、後に三河国振草の地頭となった。
貞久の子、貞次は天正3年(1575年)武田勝頼の長篠合戦において、武田氏に属して敗戦の後は武田氏とともに甲斐国へ落ち、廃城になったという。
城は大千瀬川の北岸の崖の上にあり、東栄中学校の校庭の南側にある。周囲を低土塁が巡り、校庭側に石碑がある。