築城年代は定かではないが文明年間(1469年〜1487年)に木村東見入道安信によって築かれたと云われる。足助七城の一つに数えられる。
木村安信が没すると嫡男木村新九郎信基が城主となったが、天正2年(1574年)武田氏によって攻められ落城する。
よく天正3年(1575年)大給松平乗正の二男近清が木村信元の養子となって大沼城主となった。近清が没すると嫡男松平近正が家督を継ぎ、天正18年(1582年)徳川家康の関東移封に従い上野国三ノ倉に五千石で移り廃城となった。
大沼城は城主の菩提寺である洞樹院の東にある山に築かれている。
本丸は南西にやや張り出した部分で周囲に帯曲輪があり、西の帯曲輪は北端に土塁が付く。ここから南の登城路沿いに曲輪があり、二の丸、三の丸の表記が成されている。主郭の北東鞍部が堀切になっているが、この上に「お犬さま」を祀った祠があり、ここも曲輪となっている。
西の谷筋にかつて城内に水を引いていたという水場があり、二基ある砂防ダムの上に石積が残されている。ただこの石積が当時の遺構かどうかははっきりしない。
近くの代官屋敷には大沼城主の供養塔が残っている。
洞樹院の東側に案内板があり主郭まで遊歩道が整備されている。