築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に松平親氏によって築かれたと云われる。 松平氏の祖と云われる親氏が松平氏館の詰めの城として築いたもので、親氏が信光とともに岩津城へ移ってからは、信広の居城となった。
城は国道301号線を眼下に治める位置に築かれており、街道を押える位置にある。
主郭は標高300m程の再高所にあり、西へ伸びる尾根に二郭、三郭を配置している。主郭には巨石はあるが、曲輪には何れも土塁はなく古い様式を残している。
対照的に主郭から二郭・三郭の南側を竪堀が伸び、主郭の南側には横堀が巡らされて、主郭の西側に達する。この辺りは後に改修されたものと思われる。
大手は国道301号線側で、国道から脇道へ入って直ぐの民家の入口となっている。コンクリート舗装された民家の道を少し入った所に大手門跡の石碑があり、他に登るルートを知らなかった為、家の方に声を掛けた所、快く登り口を教えて頂くことができた。
縄張図を拡大表示してもらえればわかるが、少し北側から登る道もあり、こちらのほうが整備されている。