詳細不明。滝脇松平氏の居城とされる。
滝脇松平氏は大給松平親忠の子乗清が初代で、二代乗遠、三代乗高と続き、徳川家康に従って関東へ移封となるまで続いた。
乗高の子乗次は関ケ原合戦の後に旧領滝脇村など六百石を与えられ、滝脇陣屋を構えた。
日影城は郡界川南岸、南の山から北へ伸びた尾根の一つに築かれている。
北から見ると同じような山が連なっており城山がどれか非常にわかりづらい。
南端最高所に主郭Iがあり南尾根を堀切で遮断する。主郭から北西と北へ伸びた2つの尾根に段曲輪を連ねている。曲輪はいずれも小規模で、北西側の曲輪IIの一角に通路が入ってきている部分があり虎口の可能性がある。
北麓の民家の前に谷間を畑にしてあるところがあり、その入口に朽ちた滝脇城入口の看板が落ちている。
ここから谷筋を入って左上が城山で、少し上った辺りから左側の尾根を登って行くのがわかりやすい。
最寄り駅(直線距離)