文明2年(1470年)菅沼定信によって築かれたと云われる。
菅沼氏は清和源氏で三河国額田郡菅沼郷発祥、定成の時に田峯に移り住んだ。その後、奥三河の地に勢力を広げ、長篠・野田・島田菅沼氏の宗家として田峯菅沼氏と呼ばれた。
天正3年(1575年)長篠合戦で菅沼定忠は武田方として参陣するが大敗、勝頼とともに田峯城へ戻ったものの留守居の叔父定直等の謀反によって入城できず、武節城へ引き上げた。その後奥平氏によって武節城をも追われ信濃国伊那郡へ落ちていたが、天正4年(1576年)定忠は田峯城を急襲してこれを落とし、謀反の一族96人を惨殺した。
本丸内に入るには入場料が必要であるが、本丸に御殿、物見台、大手門、厩などが建てられ整備されている。
御殿が少々立派すぎる気もするが、模擬天守など中世城館にはあり得ない施設が多く建てられている現状にあって、このような整備のされ方には好感が持てる。
残念ながら雨が降っていたが、物見台から眺める景色は素晴らしい。
御殿(模擬 御殿)
物見台(模擬 櫓)
厩(模擬 その他)
大手門(模擬 城門)
入場時間 | 午前9時-午後4時まで |
休館日 | 月曜日・祝日の翌日 年末年始(12/29-1/3) |
料金 | 大人200円 子供100円 |