築城年代は定かではないが建武年間(1334年〜1338年)に富田八郎によって築かれたと云われる。
川向かいの愛宕山の敵と弓合戦をしたが、多数の家臣が討たれ、城下の池が底深く血に染まったことが、血深城の名の由来だという。
血深城は富田川と庄川が合流する地点の南、西へ伸びた丘陵の頂部に築かれている。国土地理院の地図にも凸マークが記されているので、場所はわかりやすいのだが、相変わらずこの基準はわからない。現地には特に案内もなく道も付いていない。
山頂一帯は天然の岩が露出した地形で、その急峻な地形を利用した城のようである。 山頂の主郭は南に一段小高い土壇が付き、北側には低い土塁が付いているが、全体的に風化している。
特徴のある遺構は主郭の東側にあり、東端に露出した岩の上には弧状になった六つの柱穴が存在している。もう一つ、城郭大系の解説で「石室のような」と記されているものがあり、これは天然の岩と岩の間に生まれた窪地で、l字のようになっている。
主郭の東尾根は岩が切り立った地形で、その下は石がゴロゴロした尾根になっている。西尾根は腰曲輪があり、その南端には大岩との間に虎口らしき通路がある。ここから西へ降って行くと段々に造成された平段が続いており、石積や列石らしきものも確認できるが、畑跡かもしれない。
西尾根の住宅地の一番上から山に取り付いて登った。 地図上では東の河内神社の方から山上に登る道があるようにも見えるが利用していないので不明。
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