天正13年(1585年)龍松山城主山本主膳の家臣山本兵部が築いた城という。 天正13年(1585年)羽柴秀吉による紀州侵攻に備えるために築いた支城の一つとされる。
国陣山城は富田川とその支流の間に南北に伸びる山塊の標高126m程の山に築かれている。
単郭の城で主郭部は削平の甘い緩やかな自然地形を残している。明瞭な遺構が残るのは南西尾根側で、この尾根を遮断するように細長い空堀があり、西は竪堀、南は横堀として側面を覆う。この空堀に面した曲輪の先端には櫓台が備えられ、その東側に虎口が付いている。南の横堀はそのまま東へ伸びて消滅し、北西や東の側面はほぼ自然地形の斜面となっている。唯一北尾根のみ堀切とそこから伸びる竪堀によって遮断している。
この国陣山城の南西の鞍部には熊野古道があり、この街道からの攻撃に備えた一時的な城郭遺構のようである。
熊野古道の鞍部から尾根上に登って行くと辿り着く。北西側は果樹園となっておりネットがしてあるので、それを除けて行く必要がある。
最寄り駅(直線距離)