天正17年(1589年)に藤堂高虎によって築かれたと云われる。 羽柴秀吉の弟羽柴秀長が和泉・紀伊・大和を領し大和国郡山城で百十六万石を領していたと、藤堂高虎は羽柴秀長の家臣であった。羽柴秀長が検地を実施しようとしたところ一揆が起こり藤堂高虎、羽田長門守に命じて北山地方の一揆は鎮圧された。その後北山地方を治める為に築かれたのが赤木城である。
慶長19年(1614年)大坂の陣では新宮城主浅野右近大夫忠吉が出陣した隙をついて一揆を起こしたが、和歌山藩主浅野長晟によって鎮圧された。
赤木城は赤木川の北岸にある標高230mの丘陵に築かれている。現在は国指定史跡となり、以前よりも更に良く整備されており、自然と石垣が織りなす絶景を堪能することができる。
比高30m程の丘陵に築かれた城で総石垣造りで、最高所の主郭を中心に南の谷間にある南郭を挟んで東西両尾根に東郭と西郭、北に北郭を設けている。
主郭はやや歪んだ方形で高石垣が巡り南東隅に枡形虎口を開く。南西隅と北端に張り出しがある。東郭は中央に虎口があり、伝鍛冶屋敷からの入口となる。北尾根は堀切が一条ある。
麓にトイレを完備した駐車場がある。遠景は東の県道40号線沿いから望むことができる。