詳細不明。入鹿氏の居城と考えられている。
小栗須城は入鹿中学校の南、北へ伸びた尾根の先端頂部に築かれている。小さな城だがパキパキの遺構が残る城である。
尾根の北端頂部に主郭があり、西下と北下に腰曲輪を配して、それぞれ土塁脇の虎口で繋がる。南側に高く垂直に近い切岸を設け、下方に浅くなっているが堀切2が横掘状になって遮断し、その先に曲輪IIがある。
曲輪IIは南西側に高土塁があり、南は中央に土橋を残した堀切1で遮断する。
ここから山頂に続く尾根の途中に小さな堀切4がある。内側の曲輪となるべき峰はほぼ自然地形で切岸はないが、堀切側のみ土塁状地形となっている。
さらに南に登ると標高168mのピークに達する。ここには入鹿本城の札が付けられているが、石列や溝は城の遺構とは考えられず、さらに南に下った尾根にある堀状地形も山道と思われ、付近には石組井戸がある。現在慈雲寺の墓地に貯水タンクがあるが、ここに貯める水はさらに南の山から引いているようである。
慈雲寺から南の墓地の先にある堂ヶ谷城へ行くことができる。墓地から山上に登る道があり、そこから道はないが小栗須城に続く尾根は歩きやすい。小栗須城から北東尾根を降りることができるが、先端は断崖で、民家の敷地を避けて降りるには南へ迂回する必要がある。