詳細不明。古志氏の出城と云われる。
古志氏の居城である栗栖城の案内板によれば、元亀元年(1570年)12代古志重信の時に毛利氏に降り、戸倉城へ移ったとされている。
城は土椋烽に比定されている大袋山の東にある独立した要害山の山頂に築かれている。
登山道を登って行くと標高215m程の所に堀切があり、その上に削平地が二段ある。そこから登山道を無視して尾根伝いに登って行くと、主郭の北側に南北に長い曲輪へと到達する。しかし、この曲輪の南端は岩でここから主郭へ行くには岩を乗り越えて行く必要があるのだが、試しに少し登って景色を除いてみたのだが、高所恐怖症が発病しそうなので回避。適当に東側へと滑べり降りて行くと登山道と合流できた。
登山道はここから主郭の北東方向の尾根へと登るようになっており、ここに広い削平地があって北東方向に三段程確認できる。ここからもうひと登りすると主郭に達する。
主郭には戸倉城の碑が建ち、ベンチなども用意されているように景色が良い。 主郭は南北に長く、南北二段で南側は西側が一段高くなっている。南端には岩が露出して眺望が開けている所があり、ここからの眺めも良いが、ちと足がすくむ。
南斜面を途中まで降りて行ったが削平地も堀切も見当たらない。