築城年代は定かではないが三刀屋氏によって築かれた。 三刀屋氏は清和源氏満快流で承久3年(1221年)諏訪部扶長が出雲国三刀屋郷の地頭職を得て、16代為扶の時に三刀屋氏を名乗った。 この時居城として築かれたのが「じゃ山城(石丸城)」である。
三刀屋氏は360年余りに渡ってこの地を治めたが、戦国時代になると支城であった現在の三刀屋城(城山)に居城を移したといわれる。
三刀屋じゃ山城は標高242.7mの山に築かれており、現在主郭まで登山道が整備されている。
三角点のある山頂一帯が主郭部となり、南の高台部分に曲輪I、II、IIIと土橋の架かる空堀で区画された曲輪群がある。北側は一段低くなっているが、塁線には概ね土塁がついており主郭部全体を囲むように切岸がめぐらされている。
支尾根部分には西は三重堀切4、東は二重堀切1、北も堀切2の下方に小規模な堀切3、南も堀切5、6、7と3ヶ所に設けられている。
大手は溜池の開口部になっている西側と考えられる。また北端Aの部分も土塁が不自然に開口していているが外側に通路は確認できない。
三重堀切4は畝堀になっているようなのだが、年々埋もれていて現在は土橋の確認も難しい。
西へ続く尾根はほぼ自然地形であるが曲輪V、VIと若干加工され、西へ伸びた尾根に浅い二重堀切8と堀切9が確認できる。
登山道は南麓にあり、旧道側に高橋商店と看板のある民家が目印であるが、分かりづらい。舗装された細い道を登っていくと山腹に一軒の民家があり、その入口脇に登山道入口の標識が出ている。
近年地元の方によって竹林が伐採され見学し易くなっている。
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