築城年代は定かではない。大永元年(1521年)に湯原信綱によって築かれたとも伝えられる。
永禄5年(1562年)湯原春綱は毛利元就が荒隈城に進出するとこれに降り、水軍の一翼を担った。
永禄12年(1569年)尼子再興軍が蜂起すると満願寺城を巡って尼子氏と毛利氏が争った。
満願寺城は宍道湖と日本海を繋ぐ佐蛇川の入口に面した標高27m程の丘陵に築かれている。
東麓にある満願寺の裏山が城山で、遺構は丘陵全体に拡がっていたようであるが、現在は墓地や警察学校の敷地になっている。
遺構が良好に残るのは満願寺の裏にある墓地の南、宍道湖に面した丘陵部分で高い切岸に囲まれた曲輪の北西下を横堀が巡り、そこから二条の短い竪堀が落ちている。