永録5年(1562年)毛利元就によって築かれたと云われる。
永録5年(1562年)出雲に侵攻した毛利氏は白鹿城と富田城との連絡を断つために荒隅城を築いた。長期戦となった出雲侵攻で荒隅城は毛利方の兵站地となっていた。 永録6年(1563年)白鹿城を攻略、永録9年(1566年)には月山富田城も攻略し尼子氏を滅ぼした。
荒隅城は宍道湖に面した荒隅山に築かれていた。現在東端に天倫寺があり、その参道入口に案内板が設置されている。
荒隅城が築かれていた荒隅山は現在宅地開発などによって原形を留めておらず、遺構を探すのは難しい状態である。一部発掘調査によって掘立柱建物跡や土塁、堀切などの遺構が検出されている。