詳細不明。城主は久枝氏(宇都宮氏)と伝えられる。
『宇和旧記』には「久枝村 久枝城または水ケ森とも言う、久枝卯之町境に在り、この水ケ森ということは、黒瀬城へ水を汲む故なり」とあるが、ここに登場する久枝城は鉢ヶ森城のことだろうか。
久枝氏は宇都宮氏一族で、永正年間(1504年~1521年)に宇都宮有綱、永禄年間(1558年~1570年)以降はその子久枝興綱が登場する。黒瀬城主西園寺氏の家臣で、豊臣秀吉による長宗我部攻めによって小早川隆景が伊予に入封、その後に戸田勝隆が大洲に入って西園寺公広が謀殺されるが、興綱は引き続き戸田勝隆から久枝村の所領を安堵されている。
久枝城は比高10mほどの丘陵に築かれており、現在は城山公園として整備されている。
山頂部を中心に削平地が確認できるが、公園や畑地などとして改変されている。半独立丘陵の小山であることから山全体を利用していたと推測される。
公園は北側の道路から細い道がいくつか付いている。駐車場はないので付近に路駐してくるしかない。
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