詳細不明。播磨国別所氏の一族の居城と伝えられる。 天文年間(1532年〜1555年)に播磨国三木城主別所就治(別所長治の祖父)が尼子勢を追って伯耆にきたという。また、天正8年(1580年)別所長治の籠もる三木城が落城した際に、長治はじめ一族が自刃して果てたが、長治の子竹松丸を奉じた別所忠治が岸本要害の別所氏を頼って落ちのびたとの伝承がある。
岸本要害は日野川の東岸、岸本集落の段丘の西端に築かれている。 西下の県道沿いの案内板と石碑が設置されている。
降雨のため台地上からのアクセスを試みたが、台地上にある畑地からは薮が深くて城址までたどりつけなかった。
「鳥取県中世城館分布調査報告書」に掲載されている縄張図では、台地の西側を切り離すように二条の空堀を設け、東西二郭の曲輪を造成し、西の曲輪は空堀に面した東側に土塁をコの字状に設けている。
国道181号線沿いにある伯耆町役場の東側の交差点から県道326号線に入り、道なりに東進すると右カーブになって台地上に登っていく。この途中左側に案内板と石碑がある。
最寄り駅(直線距離)