肥前 塚崎城ひぜん つかざきじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (肥前国/佐賀県) > 塚崎城
Tweet
肥前 塚崎城の写真
掲載写真数
形態
平山城
別 名
武雄城
文化財指定
なし/不明
遺 構
石垣,堀
城 主
後藤氏
歴 史

築城年代は定かではないが元永年間(1180年〜1120年)に後藤氏によって築かれたと云われる。後藤氏は藤原北家利仁流で塚崎荘の地頭となり下向したと云われる。

後藤氏は大永7年(1527年)後藤純明のとき実弟である日鼓城主渋江公親を攻めて渋江領を接収し勢力を拡大した。

純明のあとに家督を継いだのが後藤貴明である。貴明は三城城主大村純前の実子であったが、有馬晴純の子純忠(純前が甥)を嗣子に迎えたことから後藤家に養子に出された。このことから貴明は大村家と有馬家を恨んで、平戸松浦氏などと結び度々戦った。

実子に恵まれなかった貴明は松浦隆信の子惟明を養子に迎えたが、天正2年(1574年)その処遇に不満を抱いた惟明が蜂起して内紛となり、後藤貴明は龍造寺の支援を受けてこれを鎮めた。

須古城の平井経治を滅ぼした龍造寺隆信は後藤氏とも度々争うこととなり、和睦と手切れを繰り返していたが、天正5年(1577)隆信の子家信を娘槌市の婿養子に迎えて家督を譲ることで和睦が成立し、実子晴明は龍造寺氏に養子に出され、貴明は芦原に隠居した。

天正14年(1586年)後藤家信の時に住吉城へ居城を移したが慶長4年(1599年)火災により焼失したことで再び塚崎城を修復して居城を移した。

後藤茂綱は一万九千石余を領し、後に佐賀鍋島家の親類同格となって鍋島姓となり、武雄鍋島氏となった。元和の一国一城令によって塚崎城は廃城となり、御館として武雄鍋島家の屋敷が江戸時代を通じて存続した。

説 明

塚崎城は御船山の北麓、現在の武雄高校の敷地を中心に築かれていた。

御船山の山麓の高所に本丸を置き、北に二ノ丸、三ノ丸、御屋敷を配していた。しかし、本丸は住宅地、二ノ丸、三ノ丸、御屋敷の辺りは武雄高校として造成され、遺構はわずかに石垣や竪堀が存在しているのみである。

本丸の一部は武雄高校の西側にある住宅地の一番上にある公園となり、そこに標柱がある。また石門と呼ばれる石垣造りの虎口が西の深遠寺の川沿いの北東に現存している。

案 内
最寄り駅(直線距離)
0.9km 武雄温泉駅
3.1km 高橋駅
3.6km 永尾駅
6.6km 三間坂駅
6.8km 北方駅
所在地/地図
佐賀県武雄市武雄町大字武雄
付近の城(直線距離)
0.3km 肥前 武雄古城
1.0km 肥前 富岡城
1.2km 肥前 諏訪山城
1.6km 肥前 川良古城
2.0km 肥前 川良館
2.1km 肥前 島山城
2.7km 肥前 白木城
2.8km 肥前 磐井の砦
3.0km 肥前 潮見城
3.3km 肥前 黒尾城塞
3.4km 肥前 烏帽子岳陣所
3.5km 肥前 上滝城塞
3.9km 肥前 猪隈城
3.9km 肥前 おつぼ山神籠石
4.3km 肥前 袴野城
4.4km 肥前 向野山城
4.6km 肥前 久津具城
4.9km 肥前 宮裾館
5.0km 肥前 前城
5.0km 肥前 大崎館
5.6km 肥前 後藤貴明隠居館
5.8km 肥前 志久城
6.0km 肥前 中通構城塞
6.0km 肥前 鍋野城
最終訪問日
2018年10月
TOP > > (肥前国/佐賀県) > 塚崎城