天智2年(663年)に唐・新羅軍と対峙した日本と百済の連合軍は白村江の戦いにおいて大敗した。大陸からの侵攻に備えて大宰府を置き九州や瀬戸内各所に城を築いた。このおつぼ山神籠石もこの頃に築かれた朝鮮式山城の一つ神籠石型の山城と考えられている。
おつぼ山神籠石は杵島山から西へ派生した尾根の先端、標高54mのおつぼ山一帯に築かれている。
おつぼ山神籠石は南側に水門二ヶ所、北側に土塁二ヶ所、掘立柱構造の門跡が二ヶ所確認されている。現在は水門とともに神籠石ライン沿いに遊歩道が整備されており、ほぼ山を一周することができる。
国道498号線沿いに専用の広い駐車場があり、そこからおつぼ山の南側を回り込むと第一水門へと続く遊歩道がある。遊歩道は神籠石沿いに北へと続き、それに沿って歩いて行くと東門、土塁と見学することができる。更に進むと西側の浦田提と呼ばれる溜め池の水門跡推定地へと出てくる。ここから国道へと出て第二水門を確認すると一周できる。約50分程でした。