肥前 多比良城ひぜん たいらじょう
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永暦元年(1160年)日向通良によって築かれたのが始まりともいわれる。
鎌倉時代末期には多比良氏がおり、南北朝時代には南朝方として活動し、戦国時代には日野江の有馬氏に従っていた。
天正13年(1584年)龍造寺隆信が沖田畷で有馬・島津連合軍に敗れて討死すると、有馬氏は龍造寺に付いた神代貴茂の居城である神代城を攻めたが、難攻不落で攻め落とすことができなかった。有馬氏は和議を装って神代貴茂を多比良城に招くと、その帰路城下にて貴茂を謀殺したという。
国見高校の前に標柱が建っている。