築城年代は定かではないが鎌倉時代に大河氏によって築かれたと云われる。 大河氏は肥前国綾部の出身で、文治2年(1186年)綾部幸房が大河・伊福・伊古の地を四男幸明に分与し、大河幸明と称した事に始まり、多比良氏、藤木氏、小浜氏と同族である。
大河幸明は伊福の地を三郎道行に分与している。
嘉暦3年(1328年)大河孫三郎幸継のとき、鎮西探題より城の破却が命じられており、これが大河城だと考えられている。
大河城は北へ伸びた丘陵の上に築かれていた。 城跡の南側が墓地となっており、農道も付いているのだが城跡付近は薮化しており遺構は全く分からない。案内板によれば石垣が残っているという。
大川公民館の東側の丘陵が城山で、公民館から丘陵へ続く道の途中に案内板が設置されている。(案内板のある所)
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