築城年代は定かではない。千々石氏の居城とされる。
一説に永禄12年(1569年)千々石直員による築城とも云われる。直員は有馬晴純の三男で千々石氏の養子となったと云われ、その子が天正遣欧使節の一人ドン・ミゲルこと千々石紀員という。
直員は元亀元年(1570年)2月横造城の城番を務めていたが龍造寺隆信と丹坂の石切谷で合戦となり討死した。
天正5年(1577年)龍造寺の大軍によって釜蓋城は攻められ落城したという。
釜蓋城は千々石中学校の東背後に聳える標高126m程の山に築かれており、現在は公園として整備されている。
山頂部には櫓を模した展望台がありここが本丸と思われる。西下には広くグラウンドとなった平地、東側面は段々の狭い平地があり、大きな石を積んである部分もあるが後世の改変のような思え、遺構らしきものはわからない。
山頂グラウンドのところかその下の駐車場が利用できる。
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