築城年代は定かではない。永禄年間(1558年〜1570年)の城主は空閑(古賀)越後守であったという。天正7年(1579年)佐嘉の龍造寺氏によって攻められ落城し、空閑越後守は城を枕に討死したとも伝えられる。
東空閑城は境ノ松公民館の南にある北東に伸びた微丘陵に築かれていた。
公民館の南側の台地が城跡で、現在は畑や宅地となっている。現在台地を南北に分断する空堀が残されており、この空堀が市指定史跡となっている。
公民館の南側に案内板がある。公民館へは北側から細い農道が付いている。
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