築城年代は定かではないが島原氏によって築かれたと云われる。 島原氏の出自は詳らかではないが有馬氏の一族と云われる。
永禄6年(1563年)島原純茂はキリスト教の布教を許可して浜の城の一角に教会が建設されたという。島原氏は有馬氏に属していたが、天正5年(1577年)佐嘉の龍造寺隆信の軍勢が島原半島を南下すると島原純豊はこれに降った。
天正10年(1582年)有馬晴信が龍造寺を離反して深江城を攻め、翌年には安徳城主安徳純俊も有馬方に付いた。有馬氏は島津氏に援軍を求め、龍造寺方も援軍を深江城や浜の城に入てこれに対抗する。天正12年(1584年)ついに龍造寺隆信が大軍を率いて島原へ押し寄せると沖田畷の戦となった。この合戦で龍造寺隆信は島津の家臣川上忠堅に討たれ龍造寺軍は大敗を喫すると、浜の城に籠もっていた島原純豊も降伏開城し島原氏は滅亡した。
浜の城は現在の中央公園一帯に築かれていたと考えられている。「堀町」・「中堀町」の地名はこの浜の城に由来するものであるが、現在遺構はなく中央公園の南西隅の一角に浜の城跡の石碑が建っているのみである。