当初は大村氏の家臣庄頼甫の屋敷であったと云われ、日本初のキリシタン大名として著名な大村純忠が晩年を過ごした館である。
純忠は、有馬晴純の二男で大村純前の養子となり家督を継いだ人物である。 横瀬浦を開港してキリスト教の布教を助け、自らもキリシタンとなりドン・バルトロメロウという洗礼名を受けた。キリスト教徒となった純忠は先祖の墓のある寺院を破壊するなど、過激な行動を取り、家臣や領民の反発を招いている。 純忠は約2年間この館で過ごし、天正15年(1587年)に没した。墓所は三城近くの宝性寺にあったが、その後本経寺に移された記録があるものの現在は所在不明という。
坂口館は大村icの北、国道444号線と長崎道が交差する辺りに築かれていたといい、現在は大村純忠史跡公園となっている。
高速道路の建設や公園の建設にあたって発掘調査が行われ、多くの建物跡が検出され、十六世紀から十七世紀の中国や東南アジアの焼き物が出土したという。
山側にある泉水は「館の川」と呼ばれ、庭園の名残という。
国道444号線沿いに道標があり、高速道路下に専用の駐車場がある。
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