天正5年(1577年)龍造寺隆信が八千の軍勢を率いて大村領に侵攻したとき、この琴平岳に布陣し、菅無田砦に立て籠もった大村方の峰弾正や一瀬半右衛門を攻め滅ぼした。しかし、この戦いで龍造寺軍も被害を受けた為、琴平岳(麻生岳)の本陣で休息してところ、翌朝大村純忠によって急襲され諫早へと退却した。これによって麻生岳と呼ばれていた山は、朝追岳と呼ばれるようになったという。菅無田古戦場については菅無田砦を参照。
琴平岳山頂は現在琴平岳スカイパークとして公園になっている。この公園の一角に史跡琴平岳として案内板が設置されている。これによれば、龍造寺隆信が布陣したのは山の中腹で「隆信の腰掛石」があるという。
琴平岳スカイパークの駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)