築城年代は定かではない。天文年間(1532年〜1555年)には板楠豊後守景貞・景次父子が在城していたといい、板楠氏は梶原景時の末裔という。天正年間(1573年〜1592年)の佐々成政に対する国人一揆で岡原城に立て籠もっているが、その後の動向は定かではない。
岡原城は旧三加和町役場(町役場支所)の北西にある丘陵に築かれている。 南麓の岡集落の入口に岡原城と広徳寺の標柱が建っており、ここから山上まで細い車道がついている。
入口の脇にある「広徳寺の地蔵さん」(町指定文化財)は、板楠氏の寺と伝えられる広徳寺、で現在の地より50m程北西側にあったものという。岡原城の東麓は「陣内」、南麓は「門出」という地名が残る。
山上は畑として全面開墾されており、とても広大で東西300m、南北も300m程はあるというが、明確に城の遺構と思われるものは見あたらない。 ちょうど車道が丘の上に出る辺りに土塁と堀切跡らしき窪地が残っており、これが案内板に掲載されている図面の土塁と堀切に該当するものだろうか。
旧町役場前の県道195号線を西へ進むと北側の岡集落の入口に標柱がある。ここから山上に通じる車道があるが、道は狭く置く所もないので車はどこかにおいてくる方が良い。