詳細不明。
地元の方の説明によれば、東側の太田黒集落に藤原藤房の墓というものがあり、藤ノ木が植えられているだけで、一見墓とは認識できない。 また、城名も石坂城ではなく、「ヒグラシ城」だという。 これらに関して、「日本城郭全集」にも記載があり、城の西方に日暮谷という所があり、戦いの際に、表門より攻めた敵は容易に城内に入ることができず、日暮を待って西側から攻め入ったためだとある。
石坂城は国道443号線と県道194号線の北西側の丘陵にあり、南へ伸びた丘陵の南端頂部に築かれている。
城は南が最高所で広く管理された竹林になっており、低い段差がある程度で、ここが主郭であろう。北側に堀切があり、土塁が付いている。北端からは東側に階段状に削平地が付いている。
県道194号線から石坂集落内に入る坂道を上り少し進むと、山上に向かうコンクリート舗装された道があり、これが城内に通じる。 その少し南側にある藤ノ木が藤原藤房の墓だというが、教えて頂かないとさっぱりわからない。