築城年代は定かではない。菊池十八外城の一つとされ、城主は不詳ながら大和守大蔵久家とも伝えられる。
五社尾城は雪野川の北岸に聳える標高326mの山に築かれている。菊池十八外城は遺構の少ない城郭が多いが、この五社尾城はしっかりした堀切が残っており、ちゃんとした山城になっている。
主郭は山頂にあり石碑が建っている。曲輪の削平は全体的に甘いが堀切で区画された曲輪が南北に続いている。北端が主郭で南へ続く尾根に二重堀切や二郭などが続いている。
五社尾城から東に直線で500m程の山中に真福寺跡があり、その奥には菊池武朝の墓と伝えられる五輪塔がある(地図)。
山の北側を通る車道から南へ入っていく林道がある。この途中に案内板が建っており、そこから尾根伝いに登れば主郭背後の堀切に達する。
菊池武朝の墓は雪野川沿いの車道を東へ進んでいけば墓所入口の道標が出ている。ここから比高60m程登った山腹に墓がある。