大永年間(1521年〜1528年)に麻生野右衛門大夫直盛によって築かれたと云われる。 直盛は江馬氏14代江馬時経の二男で、洞城を築いて麻生野を名乗った。
永禄2年(1559年)武田信玄は山県昌景に命じて飛騨に侵攻すると、江馬時経とともに麻生野氏も降り、所領を安堵された。
直盛没後に家督を継いだ麻生野慶盛は、天正6年(1578年)宗家の江馬輝盛と不和となって攻められ落城、麻生野氏は滅亡したという。
「江馬氏城館跡」として下館・高原諏訪城・土城・寺林城・政元城・洞城・石神城が国指定史跡となっている。
洞城は高原川の支流麻生野川の北側にある標高535mの山頂に築かれている。 山は北の山塊から南西に派生した尾根で、山の南に麻生野川、北にもその支流が流れている。
洞城は山頂の主郭と西下の曲輪の二郭で構成し、主郭の北東と西に堀切を設けて遮断し、西の堀切には土橋が架かる。堀切はともに竪堀となって中腹まで伸びている。主郭の東端には土塁がつき、南斜面に竪土塁のような土盛りが残る。
神岡町の中心から国道471号線を浅井田ダム方向に進み、麻生野集落をに入る。「神岡部品」の北側の丁字路を北に曲がり橋を渡って直ぐに左に曲がる道がある。「松ヶ丘公園斎場」への道標が出ているが、その脇に標柱が草に隠れて建っている。
登り口はこの脇の林道で、入って直ぐ右側の川に木橋が架かっている。これをわたって尾根先から踏み跡が山頂に伸びている。
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