詳細不明。城主は江馬氏の家臣川上(河上)氏の家臣一の瀬四郎守之と伝えられる。
「江馬氏城館跡」として下館・高原諏訪城・土城・寺林城・政元城・洞城・石神城が国指定史跡となっている。
土城は高原川と跡津川が合流する地点に三方を囲まれた丘陵に築かれている。 城山の西側は国道41号線により削られ、大きく損傷している。
現状は山肌は法面工事によってコンクリートで固められ、東側は跡津川の激流によりとても登れる感じはしない。「岐阜県中世城館跡総合調査報告書」に掲載されている縄張図では、山の南側山頂にいく段かの削平地が描かれ、北の先端にも平坦面が残っているようである。