築城年代は定かではない。 「江馬家後鑑録」に「往古左兵衛尉国家居之、年代由来未詳」とあり、国家については、薬師堂懸仏金石文銘にある「永仁7年(1299年)巳亥2月15日、大檀那左兵衛尉藤原国家」と推測している。このことから鎌倉時代末期の築城とも云われる。
現在残る遺構は戦国時代のもので、江馬氏と姉小路氏(三木氏)との間で争われた時期のものと考えられている。
傘松城は神岡町の中心部の西側にある標高802.8mの観音山山頂に築かれている。 山頂から東側の山腹にかけて無線中継施設が建てられ幾分遺構が損なわれているものの、大半の遺構は山頂から西へ伸びた尾根にあり、遺構は良好に残っている。
主郭は山頂にあって西に虎口を開く。北側には横堀があり、北尾根の堀切と通じている。西下には西から南側を取り巻くように段があり、西の大堀切に面して土塁が残る。
西尾根にはさらにもう一条の大堀切があり、さらに下った所に折れの付いた土塁を置き、その尾根下に堀切を設けている。
無線中継施設の車道があり中腹のかなり高い位置まで車で登れそうですが、これを利用せずに徒歩で登ったため車で登れるかどうかはわかりません。終点を見た限りは舗装路で駐車スペースもあります。
登山口はいくつかあるようですが、標柱と案内板が設置されている登山口が朝浦八幡宮の西を走る県道477号線沿いにあります。地図。
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