越後 切梅陣屋えちご きりうめじんや
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正保元年(1644年)溝口宜秋によって築かれた。
寛永5年(1628年)新発田藩主溝口宜勝の次男宜秋が蒲原郡内六千石を分知され交代寄合の旗本となり、はじめ水原に陣屋を構えたが、正保元年(1644年)にこの地に陣屋を移し切畑溝口氏と呼ばれた。
二代溝口宜就は元禄11年(1698年)陸奥国岩瀬郡横田に移り陣屋は廃止となった。
切梅陣屋は現在畑となって遺構はない。『近世新潟の城と陣屋』には標柱が建っている写真が掲載されているが、現在はそれも朽ちて残っていないようである。