築城年代は定かではないが永長年間(1096年〜1097年)に荒川次郎清泰によって築かれたと云われる。その後、元中年間(1384年〜1392年)に伊達氏の家臣馬場将監によって堀が巡らされ、城郭として整備されたと云われる。
最上領と隣接する荒砥城は伊達氏によって重要視され、最上義光との戦いでは伊達輝宗が一時本陣を構えたこともある。
荒砥城は最上川東岸の独立丘陵に築かれており、現在は八乙女八幡神社の境内などになっている。
本丸は山頂で北下に一段低く八乙女八幡神社の境内となっている。南下には公民館などがあり、この部分も曲輪で麓には堀があったという。
八乙女八幡神社の東側参道の階段脇に蛇井戸跡があり「敵の攻撃をうけたとき、空井戸の竜神に祈ると、不思議にも水が湧き溢れ空濠に水が充満して、敵の侵入を防ぐ」という伝説が残る。
八乙女八幡神社の参道が東側にある。
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