元和元年(1615年)松根備前守光広によって築かれた。 江戸時代はじめに山形の最上氏が庄内の入口にあたるこの地に新城を築き、松根光広に一万石(後に一万二千石)を与えて守らせた。
元和8年(1622年)最上家改易にともない廃城となり、光広は筑後国柳河藩立花家にお預けとなった。
松根城は赤川東岸の最上院一帯に築かれていた。 かつては土塁や空堀などが残っていたようであるが、現在はそれも消滅してしまっているようである。
最上院の南側に光広の子孫で、伊予国宇和島藩家老職にあった松根家の子孫、松根洋城の句碑が建てられている。