詳細不明。天正17年(1589年)に最上の軍勢が駐屯していたところ、越後の軍勢に攻められたという。
名川城は梵字川と赤川の間を北へ伸びた細長い丘陵に築かれている。
南北に細長い丘陵を利用した城で南端の主郭から北端まで200mほどの規模がある。
主郭は南端で畑地になっているが、南側に分厚い土塁があり、外側に堀切が残る。主郭の北側にも土塁があり、北の二郭との間に二重堀切がある。主郭中央東側に虎口があったとされるが改変されていてわからない。
北の二郭は自然地形に近い曲輪で、北端が一段低く土塁がある。土塁の外側の尾根先は小さな堀切が数条あり、堀切の西側に短い畝状竪堀群が確認できる。
南側の車道から未舗装林道に分岐していくと水力発電所の貯水池があり、その辺りに駐車できる。そこから歩いていくと主郭の畑に至る。