築城年代は定かではないが天文元年(1532年)頃に細川蔵人光行によって築かれたと云われる。 室町幕府より派遣された細川光行が大内氏の支援を受けてこの地へ土着し、細川若狭守を称したという。
永禄元年(1558年)細川光行は大友氏に属して安楽平城主となった小田部鎮元との戦いに敗れて討死し、その子左近助は龍造寺隆信に従った。天正7年(1579年)龍造寺隆信の軍勢が早良郡へ侵攻すると、左近助もこれに加わり、安楽平城に籠もった小田部鎮元と戦ったという。
都地城は金武小学校の北側一帯に築かれていた。
現在県道560号線沿いにある民家の脇に標柱と案内板が設置されており、その近くに細川蔵人光行の顕彰碑が建っている。
城の遺構は宅地になっていて大半は消滅しているが、『福岡県の城郭』に掲載されている図面を見ながら歩いてみると、宅地の脇に土塁の名残があり、堀跡と思われる水路が残されている。