康安元年(1361年)松浦党が山に籠もり、菊池氏と戦ったのが始まりとされる。
戦国時代には高祖山城の原田了栄の支城であったとされる。
飯盛城は飯盛神社の西背後に聳える標高382.4mの飯盛山山頂に築かれている。 飯盛山にはかつて飯盛神社の上宮があり、大正時代にはここで経塚が発見されている。
飯盛城は山頂の主郭部に三段程の曲輪があり、一部土塁が付いている。南西尾根に続く曲輪は土塁の開口部があり虎口となっている。南側面には畝状竪堀郡があるが、余り状態は良くない。
南西に向かって伸びる尾根に二条の堀切があり、その先は自然地形尾根になっている。
飯盛神社の駐車場が利用でき、そこから登山道が山頂まで続いている。
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