築城年代は定かではない。伝承によれば建久6年(1195年)野仲氏の祖である宇都宮重房が下毛郡野仲郷を領して築久江城を築き、建久9年(1198年)に長岩城を築いて居城を移すとその支城となったという。
築久江城は津民川と山国川が合流する地点の南東、標高250mほどの山に築かれている。
遺構は最高所の主郭部I、北西尾根にある曲輪群IIそして西山腹にある曲輪群IIIによって構成している。山の斜面には至る所に人頭大の石が転がっており、曲輪群IIか主郭Iに至る急斜面には用途不明の石積もある。
山頂の主郭部Iは最高所の曲輪I1から西側山腹に向かって段々に曲輪を造成している。曲輪の削平は十分で周囲は切り立った崖地形に囲まれている。主郭I1の南東側に虎口があり、南下の帯曲輪を経由して入っていたようである。
主郭の東背後は岩と崖地形で容易に降りることができないが、尾根の先に一段小高くなった曲輪I3があり、南東鞍部に堀切2を設けてる。
曲輪群IIは堀切1で区画して北西尾根先に曲輪を設けている。曲輪の削平は甘く最高所は幅広の土塁状地形で南側の傾斜は緩い。北西の帯曲輪までは曲輪と認識できる。下方、北尾根、西尾根は緩斜面地形で若干加工してあるが、どこまでを城域とするかは難しい。尾根の周囲はこのあたり特有の切り立った崖地形で登るルートは限られる。
曲輪群IIIは城内でも広い削平空間で周囲には石積も散見できる。小さな窪みが2か所あり、北側は周囲に石が並べてあり井戸跡のようでもある。曲輪群I、IIとは雰囲気が異なり、寺社などを置いていた空間かもしれない。
西麓にコンクリート階段がありそこから山に入ることができる。曲輪IIを目指して谷を登って行けばよい。