築城年代は定かではない。鎌倉時代に鎮西探題北条氏の一族、規矩氏によって築かれたとも伝えられる。
弘治2年(1556年)佐野源右衛門(左衛門)のとき大友氏によって落城したという。
虹山城は小倉競馬場の西にある標高121mの虹山に築かれている。
山頂部に大城と呼ばれる主郭があり、北東下に小さな小城と呼ばれる二郭、さらに東に降った山腹に駒返と呼ばれる遺構がある。
主郭は山頂部にデコボコした曲輪があり、その下方に帯曲輪のような地形が周囲に拡がっている。南側は切岸下を弓形状に横堀が巡る。北の二郭は北から西に掛けてl字になった横堀を設けている。全体的に竹藪で後世の改変か曲輪など凹凸が激しい。
東に降った所にある駒返と呼ばれる部分は尾根を遮断するような空堀がそのまま東側へと降って通路のように伸びている。この堀状の溝で囲まれた内部は地山の斜面であり曲輪ではない。空堀から主郭へ登る尾根は北側を遮断するように切岸状になっており、城郭遺構とも考えられるが、解釈は難しい。
駒返部分は専教寺境内から南の山に入る道があり、これを使えば簡単に行ける。そこから主郭へ登る斜面は荒廃した竹藪であり、ここを登るのは避けた方が良い。
主郭部は北にある小倉霊園側から登って行けば比較的簡単に到達できるが、城内は竹藪である。
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