築城年代は定かではないが平安時代に宇佐大宮司到津中務によって築かれたと云われる。宇佐神宮の神領であった到津庄を管理する城で代々宇佐大宮司の支族が守っていたという。
鎌倉時代には宇佐大宮司の代官として清末氏が派遣され代々の居城となった。 天文年間(1532年〜1555年)には清末駿河守公朝、清末左馬助が城主であった。 永禄4年(1561年)宇佐大宮司公達は大友宗麟との戦いによる兵火で、宇佐神宮を焼失し公達はこの引地山城に逃れて天正11年(1583年)まで在城していたという。
引地山城は到津八幡神社の西、国道3号線戸畑バイパスとの間にある東へ伸びた丘陵の先端に築かれている。
西尾根に一条の堀切があり、西端の曲輪は堀切に面して土塁が残っている。そこから東に向かって曲輪が残っていが、東の先端部分あたりは削り落とされて消滅している。