築城年代は定かではないが田原氏によって築かれたと云われる。
文献に最初に登場するのは明応4年(1495年)で「田原氏歴代勲功次第注文」に「雄渡牟礼城」として記されている。
文亀元年(1501年)頃には大友親治と対立した田原親述がこの城に立て籠もっている。
天正8年(1580年)田原親宏の跡を巡る家督争いでは、大友宗麟が次男親家に田原宗家の家督を継がせようと画策、親宏の養子となっていた田原親貫はこれに反発し、毛利氏に援軍を要請して対立した。このとき親家が籠もったのが小門牟礼城と云われる。
小門牟礼城は成仏寺の北背後に聳える標高535.1mの小門山山頂に築かれている。現在は町指定史跡として登山道が整備されている。
急峻な山頂に築かれた小さな城で、現在山頂には所狭しと多くの無線中継塔が建っており、かなり地形が変わっているようである。現状東端を最高所として西へ四段の平段があり、西端が一番広くなっている。これらの曲輪群を取り巻くように周囲に帯曲輪があり、北西や北東に竪堀が落ちている。
帯曲輪の辺りなどには大きめの石がゴロゴロしており、石積があったのではないかとも思えるが、現状では石碑のある辺りにしか積んでいる所は確認できず、この部分は明らかに後世のものである。
登山道は南麓にある成仏寺にあり、駐車場もある。
今回登ったのは東の林道終点からで、こちらからだと林道終点の標高310m付近まで車で行くことができる。林道の入口は成仏寺から東へ進んだ金涌にあり、入口に道標が出ている。ここからコンクリート舗装された林道があるが、道は狭く両側に草木が茂り、落石なども多いので気になる場合は麓から歩いた方が良いだろう。(林道終点の地図)
林道終点からは正面の谷筋を登り、左上へと登り詰めれば麓からの登山道と合流する。