築城年代は定かではないが南北朝時代に築かれたと云われる。
建武3年・延元元年(1336年)に南朝方の小田氏、魚返氏、高勝寺の僧兵などが楯籠もっており、これに対して北朝方の一色頼行が玖珠城を攻め、数か月に及ぶ激戦の末にこれを落としたという。
天正14年(1586年)島津軍が北上すると、玖珠城には中嶋氏、魚返氏などが楯籠もって対抗した。島津軍は攻めあぐねたが、山田伝九郎が内応して城に火を放ったため落城した。
玖珠城は標高685.5mの伐株山に築かれている。山の名が示す通り、北から望むと伐株のようで、切り立った岩場が巡る周囲とは裏腹に山頂部は広くなだらかな地形が続いている。
元々は高勝寺という山岳寺院があり室町時代までは続いていたようである。この寺院は「テラドコロ」と呼ばれる北端東側の部分にあったという。
玖珠城はこのなだらかな地形が拡がる山頂部に、第1土塁から第7土塁と呼ばれる土塁囲みの方形曲輪を設けている。各曲輪はやや離れた位置にある。第3土塁の南西側面と第1,2土塁の西側面に畝状竪堀群がある。堀切は唯一南尾根に一条残る。
近年あたらしく畝状竪堀群や横堀、虎口遺構が確認された。
伐株山の南側から林道が山頂まで通じている。
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