慶長6年(1601年)来島長親(康親)によって築かれた。 関ヶ原合戦の後、長親は伊予国来島城から豊後国森に転封となり、2代通春の時、久留島と改めた。
森藩は一万四千石で城主格ではなかったため、角牟礼城を廃し南麓に陣屋を築いた。
天保8年(1837年)通嘉の時、三島神社の改築として陣屋を城郭風に改修し天守の代用とも云われる茶亭の栖鳳楼を建て現在の状態になった。
久留島陣屋は末広神社、三島公園一帯に築かれていた。
旧久留島氏庭園のある所が陣屋の御殿があった所で、その背後に末広神社がある。北側から御長坂と呼ばれる登石垣のような参道があり、それを登ると石垣造りの神社境内に出る。
神社境内には栖鳳楼(せいほうろう)と呼ばれる二階建ての茶亭があり、これが天守代用の象徴として建てられた。西側には丸木御門、清水御門があり石垣に白壁と、まるで城郭のようである。
栖鳳楼(せいほうろう)(現存 茶亭)
清水門(現存 城門)
三島公園の駐車場がある。
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