築城年代は定かではないが岐部氏によって築かれたと云われる。 岐部氏は国東半島を拠点としていた紀氏の一族であるが、天文年間(1532年〜1555年)頃にはこの辺りに進出していた。
天正14年(1586年)島津軍との戦いで落城したという。
岐部城は小倉岳から西へ派生した尾根が町田川に面した山頂に築かれている。
単郭の小城であるが、唯一尾根続きの東尾根に大きな三重堀切を設けて遮断し、この尾根に対して大土塁を設けて虎口がある。川に面した急峻な地形であるにも関わらず、ほぼ全周畝状竪堀群を設けているのが特徴である。北尾根の部分は竪堀と堀切によって堡塁的な空間が作り出されている。
登山道は北の宅地上の農道の先が山に入る道があり、堀切を越えて主郭に入る部分にはロープも付けられている。駐車場はないが少し離れた公民館に駐めることができる。
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