築城年代は定かではない。
永禄・元亀年間(1558年〜1573年)頃は能勢頼吉の居城であった。
元亀2年(1571年)の本太城合戦では四宮氏と香西氏の連合軍が攻め寄せたがなんとか撃退した。
城は天神ヶ鼻の先端に位置し頂部の本丸から先端側に二段の曲輪を設けている。本丸とその下の曲輪の間には石垣が残っている。
天神ヶ鼻の手前にある畑に囲まれた場所に石碑が設けられているがそこが城域なのかどうかはわからない。
城郭大系の説明による限りは天神ヶ鼻の先端部でありそこには曲輪と石垣が存在する。
しかし天神ヶ鼻と陸側との間にある堀切は山が削られている為か見つからなかった。
ただし冬のこの時期でもブッシュ(特に刺のある草)が邪魔をしてなかなか思うように歩を進められない。
本丸部分においては歩く気すら起こらなかった...